今回寄稿していただいたのは40代の男性の方。
大学時代に長野県上高地でリゾートバイトを経験したとのことで、少し昔のお話(1995年8月)になりますが、体験談を書いていただきました。
それでは、さっそくいってみましょう!
リゾートバイトに参加したきっかけ
私が確か人生で唯一「リゾートバイト」を経験したのは大学に入ってすぐの夏休みのことですね。
当時の私は「在学中に敦煌に行く」ということを目的として躍起になっていましたから、入学してすぐに同学年の知人を頼り、そのバイトを紹介してもらったのです。
※「敦煌」とは中国の都市のことです。
上高地でリゾートバイトをすることに
場所は長野県上高地の付近です。あの辺りで小売店を家族経営しているところがありまして、「よかったら」ということで一にも二もなく請け負わせていただくことにいたしました。
とりあえず私にとっては在学中初めての期末試験を前にして一度顔を出しに行ったと思います。
場所が場所ですから、下宿から結構な距離でして、電車からバスに乗り換え、山へ山へと上ってゆきました。
深山幽谷とはまさにかくいうように山懐に抱かれた僻地であります。
緊張の面持ちで家門を叩いてみますと、体躯自体は小柄ながら眼光の爛々とした家父様とそれより10ほど年齢にすると下回る中年の奥さんが快く迎えてくださいまして、大変安心した心地がいたしました。
その日は雑多なホルモンの「焼肉」などとビールをいただきまして、翌朝には試験に備えにまた麓へと降りてゆきました。
「山籠もり」という名のリゾートバイト開始!
さて、試験も無事終わりますと、いよいよ私は本格的に「山籠り」に出かけるということになります。
用意といえばまあ3、4日分の昼夜用衣類と洗面風呂用品ぐらいだったでしょうか。
英検をその秋に受けるとか言って小ぶりな参考書を1、2詰め込んだ思い出がありますが、とどのつまり意志の弱い私にはほとんど手に付かずといった状況。
無論その秋の試験は箸にも棒にもかからずといった態と想像していただいて結構であります。
実際仕事に就きましてからはさすがに社会経験もまだ微々たるものの私を気遣って下さったのでしょう。
さほど難解な業務を申しつけられることもなく、また、あまりの力仕事はあちらから避けていただいた記憶がございます。
私の日々やったことといえばささいな「家事手伝い」「店番」あるいは軽トラックなどに同乗して「荷駄の配送のお手伝い」とそんな感じであります。
上高地までは結局一度も上がることはありませんでしたが、一面草叢青々たる「乗鞍」の山肌、白い湯気が濛々と噴き上げる「白骨」の秘湯など方々の風光明媚を堪能いたしました。
私は元来が信州ほど峰谷峻険たる地の出でありませんから、その大変目新しくも味わい深い諸々の光景が目に焼き付き、今でもよく覚えております。
起床はかなり早かったですね。家父様が市場に出向かねばなりませんから自ずとそれに合わせ、といってもかの人よりはずっと遅いですが午前5時には起きていました。
家父様はもう1時や2時には目が開いているということでした。
そして、虚ろに目をこすりながら朝食を摂り、まだ暗いうちから店を開け、後は命ぜられるままに諸々の手伝いをいたします。
そして、あとは時の過ぎ行くままに仕事をし、昼食を摂り、また仕事をして時折お菓子やジュースなどをいただきながら、やがて暮れゆき、店を閉めて夕食を摂る。そして寝る。
といたってシンプルな暮らしを日々繰り返しておりました。
印象深かった一つはまず食事ですね。
最初の日のことも申しましたが、焼肉といえばホルモン。
さらに冬瓜とか、トビウオとか私のこれまでの人生ではあまりいただいたことのない具材をまた奥さんが巧みにどこでその料理法を調べてくるのか、うまく裁くのです。
当時はインターネットも大して普及していない頃のことですから。ご本人はいつも前もって「どうすればいいのか」などとそれっぽくうそぶいていらっしゃいましたが。
松茸もお祖父様が、いつどことなくひょろっと山に入ってそれは立派なのをいっぱいに採ってきてらっしゃいましたね。
それを店頭でも売っておりましたが、私もそのいくらかを分けていただきました。今思うと大層な贅沢がそのすぐ身辺にあったありがたみです。
リゾートバイトのお給料について
お給料に関してはこちらで「紙に付ける」ということで、まあズルはしていないつもりですが、ペンでその都度付けておりました。
さらに「ほら、これを」と言って度々誰かに「おこづかい」をもらっていましたね。一回500円とか。
期間中のあれを搔き集めてみるだけでそこそこの金額になったんじゃないでしょうか。
私はここで約一か月弱働きましたが、その間に30万円以上は軽く稼げました。
冷静に考えれば当時の新卒の給料からしても破格でありますから、おかげで翌年には楽々と「敦煌」に行けてしまいました。
もちろん、この時のおかげだけではありませんが、その翌年にはウィグルやチベットにまで足を延ばしてしまいました。
気を付けておいた方がよかったこと
それから当時私はほぼ休日なしで働きました。特に最初に取り決めがありませんでしたから、まあ今思うと法律の関係上ちょっとまずいことなのかもしれませんが。
当時はそういった小さな事業所では結構なあなあだったのです。
ただ、その分やはり心身のきつさは知らずにたまってゆくもの。あらかじめ、互いに「いついつ休む」というのはきっちり決めておいた方がよいでしょうね。
まとめ
いかがだったでしょうか。リゾートバイトというのは大概いまだ見知らぬ遠方のコミュニティにいきなり飛び込んでゆくことになります。
それは心身に大変な重圧としてのしかかってくることでありましょうし、また非常に斬新で貴重な経験でもあります。
その時、その場所、その人、その出会いでしかなしえない何か。
※なお、時代といえば時代ですが、残念ながら当時の画像、映像などの類が一切残っておりません。あしからず。